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赤松氏デビュー1968/4/6号週刊新潮 渡嘉敷島の第3挺進隊長であった赤松嘉次氏が、戦後再び国民の前に姿をあらわしたのは、今から40年も前の1968年の週刊新潮紙面であった。おそらく、大スクープであったに違いない。40年も前というと、1945年の沖縄戦のときから見れば、1905年の日露戦争ということになる。 これは、明らかに「歴史史料」である。 この週刊新潮記事から、赤松氏の名誉回復運動ははじまった。この記事中の「私は何も悪いことはしていない」、「近く渡嘉敷を訪問するこころづもりだ」という言葉が挑戦的と受け取られ、2年後、有名な「渡嘉敷島渡航阻止」の抗議行動を呼び込んだ。 その抗議行動のニュースと赤松氏の言動に触発されて、大江健三郎氏は「沖縄のノート」最終回を記述した。 また、その抗議行動のニュースを読んで、曽野綾子氏は赤松氏にひきつけられ「切りとられた時間」と「ある神話の背景」という、2編の渡嘉敷島集団自決をテーマとした作品を書いた。 そうしていま、大阪地裁で赤松嘉次氏の弟と、座間味島挺進隊長梅澤裕氏とを原告とし、大江健三郎氏を被告とする名誉毀損裁判が進行している。 いまから復刻しようとする週刊新潮記事は、こうした争いごとの端緒であり、論争事始、いわば日中戦争を起こした盧溝橋事件の謎の「発砲音」である。そしてこれは、「大東亜戦争」にまけた日本国民が日露戦争を回顧するが如き歴史的文献でもある。40年の経過といえば、そのとき赤ちゃんとして誕生したとしても、早い女性なら「おばあちゃん」と呼ばれてしまう年月である。 紹介されている島の住民によって書かれた戦記、『渡嘉敷島における戦争の実相』は、曽野綾子氏の「ある神話の背景」にも一部引用されているが、そこでは他の文献との文章の類似性を例示するだけで、書かれている事実を先ずは端正に読み取ろうという謙虚な姿勢はない。この週刊新潮記事は、大学に眠る『渡嘉敷島における戦争の様相』(※)の記述内容を知る上でも、貴重な史料といえよう。 ※(引用者注)この週刊新潮記事では『渡嘉敷島における戦争の実相』と誤記されています。詳しくは、大阪に住んでいた高校教師がまとめた論文:『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同参照のこと (たとえば、特攻艇『マルレ』を海に泛べる作業に防衛隊員など住民も参加していた、という事実は「ある神話の背景」にもない。玉砕した住民を見てないという赤松大尉の目には、何処にいても住民の姿は映らなかったようだ。曽野氏もそうした赤松氏の視野を踏襲している) 私にこのような歴史史料探索へと導いたのは、ほかならぬ大江・沖縄裁判の原告の人たちである。感謝申し上げます。 戦記に告発された赤松大尉沖縄「渡嘉敷島処刑」二十三年目の真相島民三二九集団自決の地獄図 「荒れ狂った赤松隊の私刑」 赤松元大尉大いに弁ず 「島民を斬ったのは軍紀」 ~~~~~~~~~~~~~~(記事引用開始ここから) 戦記に告発された赤松大尉 沖縄「渡嘉敷島処刑」二十三年目の真相 (記事リード) 昭和20年、米軍に上陸された沖縄の渡嘉敷島の戦記は、軍・民、恩讐の記録だという。琉球大学の図書館に眠りつづけているというガリ版刷の"資料"は、ごく一部の人の知るところであっても、一般にはほとんど知られていない。主役を演ずる赤松大尉の名。島民に集団自決を強い、女子少年を惨殺し、自らは生還していったという。ある書評氏は、彼が、いま自衛隊幕僚のイスにあることをホノめかす。 以下は、ベールを脱ぐ赤松大尉事件の実相と、今日の素顔である。従来の沖縄戦記を変えることになるかもしれない。 沖縄戦史上、まだ完全に解明されていない、その"軍・民、恩讐の記録"は、正しくは、『渡嘉敷島における戦争の実相』(正しくは『渡嘉敷島における戦争の様相』)と表題される。島民の記憶を集めて、昭和25年にまとめられた(※)、島民自身の戦史である。 ※(引用者注)記事上の記述からは「昭和25年にまとめられた」とする根拠は不明。ガリ版刷の文書には、成立の日付はないという:『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同参照。 渡嘉敷島は、那覇市西方約18マイルの洋上に浮かぶ慶良間列島の主島。「山紫水明の自然」に恵まれて、沖縄の「美しき離島」といわれるところ。 昭和20年3月、この「美しき離島」に、赤松嘉次大尉(当時25歳)を隊長とする陸軍の海上挺進隊(注=合板で作った小さな舟に爆雷を載せ、敵艦に突入する、陸軍の水上特攻隊)の第3戦隊が駐屯した。隊員130名。そのほとんどは特別幹部候補生だった。そして、爆雷を積んだ舟艇が百隻、すべて、海岸近くに隠されていた。そのほか整備隊、通信隊員若干名と、朝鮮人軍夫320名が赤松指揮下である。 3月25日未明、慶良間海峡に、潜水艦を伴う米軍の艦隊が侵入した。彼らは「いかにも日本軍を見くびったのごとく、悠々と投錨」し、渡嘉敷島に砲撃を開始した。 午後11時、赤松隊長は、隊員に"出撃準備"の命令を発した。その時の模様を"記録"は次のように書く。 「夜空に敵艦砲の落下もものかはと防衛隊(注=軍に臨時に召集された島民隊)70余名、男女青年団員100名、壮年団員30名、婦人会40名が軍に協力、舟艇百隻は退避壕より引き出され、26日午前4時、渡嘉志久、阿波連(注=いずれも渡嘉敷島の地名)の海辺に勇姿を揃えた。気の早い元気旺盛な特幹隊員は、勇躍乗船し、エンジンの音も高々と敵艦撃沈に心を躍らせて、出撃の命令を今か今かと待っていた」 しかし、「赤松隊長は出撃命令を下さず、壕の奥に待避し、戦闘意欲を全く失っていた」というのである。 "記録"は続く、 「百隻の舟艇は、出撃の勇姿を揃えたまま夜明けとなり敵グラマン機の偵察に会った。隊長赤松大尉は何を考えてか、或いは気が狂ったのか、全艇破壊を命令した。特幹隊員は呆然としていたが、上官の命令に抗することも出来ず、既に出撃の機は失したるため、隊員は涙を呑んで、舟艇の破壊を実施した。舟艇を失った特幹隊員は、本来の任務を全く捨て、かねて調査済みの西山(注=島内の山)の奥深く待避し、赤松隊の生き伸び作戦が始まった。陸士出の大尉赤松は完全に卑怯者の汚名を着せられた」 島民三二九集団自決の地獄図 3月26日、渡嘉敷島民約千四百人が最も恐れていた米軍の上陸が開始された。 が、赤松隊に応戦の意思はなく、武器弾薬を放棄し、隊長以下全将兵の"生き延び作戦"がはじまった。その結果、米軍は島を完全に"無血占領"したのである。 27日夕刻、駐在巡査を通じて、赤松隊長の「住民は一人残らず西山の軍陣地北方の盆地に集合せよ」という命令が伝達された。その夜はものすごい豪雨。それでも島民たちは「頼みとする赤松隊」の陣地を目ざして、「ハブの棲む真暗な山道」を、統制なく、歩いて行ったのだ。その雨の山道は「親子、兄弟を見失った人々の叫び声がこだまし、全く生地獄の感」であったという。 そうして、やっとの思いでたどりついた島民たちを待ち受けていたのは、意外にも、赤松隊長の「住民は軍陣地外へ撤退せよ」という冷たい命令であった。もっとも、その命令が意外かどうかは、"記録"そのものにも矛盾があるのだが。なぜならば、赤松隊長が駐在巡査を通じて伝えた命令は、「住民は一人残らず西山の軍陣地北方の盆地に集合せよ」というもので、「西山の軍陣地に集合せよ」ではなかったのだから。 それはともかく、撤退命令を受けた島民たちは、3月28日午前、西山の軍陣地北方の盆地に結集した。そして、問題の"集団自決"がはじまるのである。""記録"によると――、 「その頃、島を占領下米軍は、友軍(注=赤松隊のこと)陣地北方百米の高地に陣地を構え、完全に包囲体型を整え、迫撃砲をもって赤松陣地に迫り、遂に住民の待避する盆地も砲撃を受けるに至った。危機は刻々に迫った。事ここに至っては、如何ともし難く、全住民は、皇国の万歳と日本の必勝を祈り、笑って死のうと悲壮な決意を固めた。かねて防衛隊員に所持せしめられた手榴弾各々2個が唯一の頼りとなった。各々親族が一かたまりになり、一発の手榴弾に2、30人が集まった。手榴弾がそこここで発火したかと思うと、轟然たる不気味な音は、谷間を埋め、瞬時に老若男女の肉は四散し、阿修羅の如き阿鼻叫喚の地獄が展開された。死にそこなったものは、棍棒で頭を打ち合い、剃刀で自分の頚部を切り、鋤で親しいものの頭をたたき割る等、世にもおそろしい情景が繰り拡げられ、谷川の清水は血の流れと化した。一瞬にして329名の生命を奪った。その憎しみの盆地を村民は、今なお玉砕場と呼んでいる。手榴弾不発で死をまぬかれた者は、軍陣地へと押しよせた。赤松隊長は壕の入り口に立ちはだかり、軍の壕に入ってはいけない、速やかに軍陣地を去れと厳しく構え住民を睨みつけた」 「赤松隊長が、島民に"自決命令"を出したということは、"記録"には書かれていない。けれども、防衛隊員に手榴弾を持たせたこと、死に切れずに軍陣地に押しよせた島民たちを隊長が「軍の壕にはいってはいけない」とにらみつけたという表現などで、"集団自決"は強いられたものであるといっているのである。ちなみに、この"記録"を読んで、渡嘉敷島を訪問し、その"生存者"たちに直接問いただした人々は、確かに赤松隊長から"自決命令"が出されたという島民の証言をレポートしている。たとえば、ルポ作家の石田郁夫氏は『沖縄の断層』(雑誌『展望』67年11月号)で、「赤松から、防衛隊員を通じて、自決命令が出された」と明確にしるしている。 「荒れ狂った赤松隊の私刑」 3月31日夜半、米軍は「赤松隊の兵力をみくびったか」、渡嘉敷島を撤退した。その直後、赤松隊長から島民に対して、「家畜屠殺禁止、違反者は銃殺」という命令が出され、さらに、「我々軍隊は、島に残っているあらゆる食糧を確保し、持久態勢を整え、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態は、この島に住む全ての人間に死を要求している」という"主張"が付け加えられ、ただちに軍による島民監視の前哨線が設けられた。 4月下旬、米軍は再び渡嘉敷島に上陸してきた。彼らは、すでに占領した伊江島(注=那覇市の北西にある島)から、生き残った伊江島民を連れて来て、焼け残った渡嘉敷島民の家に収容した。むろん、渡嘉敷の島民たちはその間、山をさまよっていたのだ。その"さまよう島民たち"に赤松隊は残酷な"私刑"加えてきた・・・・。 例えば、多里少尉は「住民の座間味盛知にスパイの嫌疑をかけ」て切り殺した。また高橋伍長は、「山をさまよい歩く古波蔵太郎(※)を、敵に通ずる恐れあり」として、その軍刀にかけた。"私刑"は日ましにふえ、しかも"隊長命令"で堂々と行われるようになっていったのである。"記録"は告発する。 「米軍の要求により伊江島住民から選ばれた若き男女6名が、赤松隊に派遣された。それは戦争が既に日本の不利であり、降伏することが最も賢明な策であることを伝えるためであったが、赤松隊長は頑固として聞き入れず六名の者を惨殺した。 また、集団自決に重傷を負い、米軍に収容された十六歳の少年小嶺武則、金城幸次郎の両名は米軍の治療を受け、ようやく恢復したので、米軍の支持に従い、渡嘉敷住民へ連絡のため避難地へ向けられた。目的は住民へ早く下山する様伝えるためであったが、途中赤松隊の将士は二人を捕え、米軍に通じた(という)理由のもとに処刑した。 渡嘉敷小学校訓導大城徳安氏は敵に通ずるおそれありと斬首された」 8月15日、島民たちは古波蔵惟好村長と相談し、ついに米軍へ集団投降した。 赤松隊が投降したのは、8月22日のことであった。 ※古波蔵太郎→古波蔵樽という人名が多くの書では引用されている。 赤松元大尉大いに弁ず 今、その「悪名高き」赤松嘉次元大尉は「自衛隊の幕僚」ではない。すでに48歳、関西のある小都市で、父親譲りのかなり大きな肥料問屋を経営している。むろん、戦後、彼自身の口は「渡嘉敷戦」について多くを語っていない。やはり苦痛だったのであろうか?その彼が、今年1月14日、戦後、23年目にはじめて開かれた「渡嘉敷島海上挺身(ママ)隊第三戦隊」の"同窓会"で、これまたはじめて「戦闘報告」をおこなったのである。なぜ、そういう"心境"になったのか。一つには、防衛庁が出した戦史『沖縄方面陸軍作戦』が「彼の名誉を回復した」からといわれ、また最近、渡嘉敷島住民の間で、「赤松名将説」が現れたことに「ご本人、すっかり気をよくし」たからともいわれている。 それはともかく、ご本人に直接、島民の"告発"に見合った「戦闘報告」を聞こう。なるほど、表情はスッカリ明るいのである。まず、「戦わずして生き延びようとした卑怯者」という非難に対して――。 「 いや、二十年三月二十日、われわれは、特攻用の舟艇の準備を完了していた。そして二十三日、二十四日と空襲を受け、周辺に敵の艦船が多く姿を見せたので、直ちに出動できるような体制を組んだわけです。ただ、あの艇は新兵器なので、上級司令部からの命令なしに、独断で出動できなかったのです。そこに、私の直接の上司である第十一船舶団長の大町大佐が阿嘉島(注=渡嘉敷島の隣島)から視察に回ってこられた。ちょうど、舟艇を海岸におろしているところだったので、大町大佐にひどくシカられたことを覚えている。大町大佐の考えは敵に舟艇があることを絶対に知られてはいかんということで、全舟艇の引き上げを命じられました。そしてさらに、大町大佐を沖縄本島に護送せよという命令が大佐からでたわけです。これもいろいろと議論があって、結局25日、大町大佐を護送しながら全艇の沖縄本島転進が命ぜられた。そこで、全舟艇を浮べる作業を私が隊員に命じたんです。ところが敵艦の接近で、思うように作業ができない。そしたら、大佐が、全舟艇を引き上げよという命令をまた出されたんです。出動できる舟艇も多くあったんですが。 しかし、艦砲射撃の中で、作業がうまくいかず、大町大佐は、引き揚げ不可能なら、全舟艇を沈めよと命令。結局、沈めました。それを島民の人たちは"卑怯者"というふうに思っておられるんでしょうが、私一人なら出撃しましたよ。しかし、上官の命令です。それに司令官として当然のことを考えられたんです。舟艇を敵に見つからないようにと・・・・。大町大佐は、26日、"地上での持久戦"を命令されて、わずかに残った舟艇で沖縄本島に帰られたんですが、途中、戦死されました。そういう事情は島民の人にはわからんですからねぇ・・・・」 「島民を斬ったのは軍紀」 そして、島民に命令したといわれる「集団自決」についてはどうか。 「 そんな話は、まったく身に覚えのないことですよ。3月26日、米軍が上陸したとき、島民からわれわれの陣地に来たいという申し入れがありました。それで、私は、私たちのいる陣地の隣の谷にはいってくれといった。われわれの陣地だって陣地らしい陣地じゃない。ゴボウ剣と鉄カブトで、やっと自分の入れる壕をそれぞれ掘った程度のものですからねえ。ところが、28日の午後、敵の迫撃砲がドンドン飛んできた時、われわれがそのための配備をしているところに、島民がなだれこんで来た。そして、村長が来て、"機関銃を貸してくれ、足手まといの島民を打ち殺したい"というんです。もちろん断りました。村長もひどく興奮してたんでしょう。あの人は、シナ事変のと時、伍長だったと聞いてたけど・・・・。 ところが、そのうちに島民たちが実に大きな声で泣き叫びはじめた。これは、ものすごかったわけです。なにしろ、八百メートル離れたところに敵がいるんですからね、その泣き声が敵に聞こえて、今度は集中砲火も浴びるわけです。それで、防衛隊に命じて、泣き声を静めさせようとしました。それでもなお静まらないので、ある防衛隊員が"黙らんと、手榴弾を投げるぞ"と叫んで、胸のポケットにはいっている手榴弾に手をかけたら、どういうわけか安全弁がはずれ、ポケットのフタにひっかかって、胸のところでシューシューいって、とうとう爆発して死んでしまった。とばっちりで将校も一人負傷したが、おかげで、泣き叫んでいた島民も静まりました。集団自決があったのはそれからのことでしょう。私はまったく知らなかった。おそらく、気の弱い防衛隊員が絶望して家族を道連れに自殺しはじめたんだと思う。 」 次に、「私刑」について、赤松大尉はなんと答えるか。 「 これは知っています。いや、これはたしかにやりました。"記録"の中には私のしらないのもあるが・・・・。伊江島の女三名、男三名を米軍が投降勧告に派遣してきました。それがわれわれのほうの歩哨線に引っかかったんです。そこで私は、村長、女子青年団長とどう処置するか相談したら、"捕虜になったものは死ぬべきだ"という意見でした。たしかにあの当時はそういうことだったんです。それで六人に会うと、かれらは"われわれを米軍のほうに帰してくれ"という。しかし、こっちの陣地にはいってしまったものは、帰すわけにはいかんというと、"それじゃあ、あなた方といっしょに米軍と戦う!"というんです。だけど、米軍のほうに家族を残して来てるんだから、それはできる話ではない、むしろ死んでほしいといったわけです。そしたら、女はハッキリしとるんです。"死にます"という。男は往生際が悪かったが、ある将校が刀で補助して死なせました。彼らは東のほうを向いて"海ゆかば・・・"を歌いながら死にました。 あとでやはり投降勧告に来た二人の渡嘉敷の少年のうち、一人は、私、よく知っていました。彼等が歩哨線で捕まった時、私が出かけると、彼らは渡嘉敷の人といっしょにいたいという。そこで "あんたらは米軍の捕虜になってしまったんだ。日本人なんだから捕虜として、自ら処置しなさい。それができなければ帰りなさい"といいました。そしたら自分たちで首をつって死んだんです。 渡嘉敷小学校の先生、大城徳安は、私がハッキリ処刑を命じました。防衛隊員のくせに無断で家族のもとに帰るんです。たびたびやるから、今後やったら処刑するといっておいたのにまたやった。その時は本人も悪いと思ったのか、爆雷を持って突っ込ませてくれといった。しかし、私が処刑を命じて副官が切りました。戦線離脱、脱走です。」 赤松元大尉、実にスッキリと認めるのである。いまもって、この"処刑"に、"軍人としての自信"があるらしいのだ。 紹介したように島民たちの"記録"にもいささか冷静さを欠いた箇所がうかがわれ、赤松大尉の弁明にも、「今さら」と思わせる強硬な部分がある。赤松氏が1月の"同窓会"の戦闘報告の冒頭、「私のやったことはすべて若気の至りで」と頭を下げたと聞く。そして近く、23年ぶりで渡嘉敷を訪問する心づもりだという。島民諸氏がどんな受け入れ方をするか。死者の墓の前に、お互いがこだわりを捨て去れれば、この小島の"戦争"はひとまず過去のものとなろう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(記事引用は以上) 赤松氏の話は、のちの曽野綾子『ある神話の背景』およびその改題WAC版における話と微妙に違う。変わらないのは、大城訓導処刑以外のことは、重要な局面では「戦隊長である自分の決断だ」とは述べず、必ず「他人の誰か」を楯にして弁明を行っている点である。 なお赤松氏は、一般マスコミ登場はこれが初めてだが、すでに『戦史叢書・沖縄方面陸軍作戦』の編集過程で、その執筆者の力を借りて軍関係文献とのすり合わせを行っている。従ってこの記事は、自分の体験だけで初めて語った "バージンスピーチ" だとはいえないだろう。 第3戦隊同窓会が重ねられ、その会合に曽野綾子氏が加わるようになって、より緻密なすり合わせが行われ、『陣中日誌』を完成させたものと思われる。 近いうちに、赤松証言の変遷も解析してみたい。 この週刊新潮記事を読んだ沖縄の新聞、琉球新報は、急遽赤松氏に会いフォローアップした。 それは怒りの特集となった。 →史料発掘:赤松氏デビュー1968.4.8琉球新報
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bnf011 twitpicコメント: 通常版ももちろん asueb5 o-ck シンメトリー 宇宙 田代まさし 概要 製作者 o-ck 投稿日時 asueb5 bneupf asueb5 bneupf
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◇特集 悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」! 「陛下のガン」も笑いのネタにした「皇室中傷」芝居 その瞬間、あまりの下劣さに観客も凍りついた。 11月19日、日曜日。 東京の日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」である。 会場を埋めた2000人近い観客の前で、悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」にされ、天皇陛下のご病気もギャグにされる芝居が演じられた……。 その日、東京は冷たい秋雨が降っていた。 高橋尚子が参加した東京女子マラソンがあり、交通規制が都内に敷かれていたその時間に、日比谷公園の一角にある 日比谷公会堂でそのイベントの幕は開いた。 安倍政権への対立姿勢を鮮明にする左翼系週刊誌の『週刊金曜日』が主催する緊急市民集会である。 同誌の本多勝一編集委員の挨拶から始まった集会で、問題のパフォーマンスがおこなわれたのは、午後2時半頃からである。 司会を務めるのは、同誌の発行人でもある評論家の佐高信氏だ。 「えー、今日は特別な日なんで、とても高貴な方の奥さんにも来ていただきました。この会場のすぐ近く、千代田区1丁目1番地にお住まいの方です」 佐高氏がそう言うと、舞台の右袖から、しずしずと美智子皇后のお姿を真似たコメディアンが出てきた。 黒いスカートに白のカーディガン、頭には白髪のかつらと、帽子に見立てた茶托を乗せている。 そして、顔は顔面だけおしろいを塗って女装をした男である。 会場は、拍手喝采だ。 「本日は雨の中、多くの国民が集まっている中、なんの集会だかわかりませんが」 と切り出すと、大きな笑いが起こった。 「そう言えば、先日、主人と一緒に、ソフトバンクの王貞治監督にお会いしたんです。 王さんは“日の丸のおかげで優勝できました”と、仰っていましたが、この人が日の丸のおかげなんて言うのは、おかしいんじゃありませんか?」 そう言って、コメディアンは笑いをとった。先日の園遊会で、王監督が、天皇陛下に話した内容を皮肉ったのだ。 続けて、 「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミがずいぶん騒がしかった。でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」 と悠仁親王のことを話題に。 そして、 「今日は、実はその子を連れてきているの。ちょっと連れてきて」 と言うと、スタッフが舞台の下からケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを壇上の“美智子皇后”に無造作に手渡した。 よく見ると、猿のぬいぐるみである。 “美智子皇后”は、そのぬいぐるみに向かって、 「ヒサヒト!ヒサヒト!」と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり、ぬいぐるみの腕を動かしたりする。 場内は大爆笑。 大受けに満足の“美智子皇后”の芝居は続く。 やがて、抱いている猿のぬいぐるみに向かって、 「ヒサヒト! お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」 と叫んで、舞台の左側にポーンと放り投げるパフォーマンスが演じられた。 だが、このシーンで場内は静まり返った。 若者の中にはクスクスと笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである。 そして、ここで登場したのが『話の特集』の元編集長でジャーナリストの矢崎泰久氏と、作家であり、タレントでもある中山千夏さんだ。二人は何十年もの間、行動を共にしている“同志”である。 ★静まりかえる観客 「これはこれは、さる高貴なお方の奥さんではないですか。その奥さんにお聞きしたいことがあるんです」 と、矢崎氏。 「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょ?」 と聞く二人に“美智子皇后”は、 「あら、アタシは民間から上がったのよ」と、応える。 中山女史が、 「そもそも天皇になれるのが直系の男子だけという方がおかしいでしょ? 男でも女でも、長子がなれるようにすべきじゃないでしょうか。それで、ハタチぐらいになったら、本人の意志で天皇になりたければなり、なりたくなければ一般人になってそれで終わり。普通の市民のように選挙権も持てるようにすればいい。 そうしていけば、天皇家というウチはなくなります」 と、持論を展開。 すると、矢崎氏が、 「そう言えば、今日はご主人が来てませんね?」と“美智子皇后”に尋ねる。 「ハイ」 「どこか悪いの?」 と、矢崎氏。 「ハイ。知っての通り、病でございまして。マエタテセン?じゃなかった、えーと、あ、そうそう、前立腺を悪くしまして。あまり芳しくないのですよ」 「それはご心配でしょうねえ」 「そうなんです」 そんなやりとりが続いた後、突然、矢崎氏が、 「それであっちの方は立つんですか?」 と、聞く。 “美智子皇后”は面食らいながら、 「私の記憶では……出会いのテニスコートの時は元気でございました」と、応える。 場内はシーンと静まりかえった。 天皇のご病気までギャグにされたことで、さすがに観客がシラけてしまったのだ。 「笑い声なんてなかったですよ。何て下劣なことを言うのか、と思わず拳を握りしめてしまいました」 と、当日、イベントに参加した観客の一人がいう。 「その後も園遊会で来賓とお話をする両陛下の物真似で、笑いをとっていましたね。憲法や教育基本法の集会だと思っていたのに、結局、この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね」 だが、あきれるばかりの内容は、まだ続いた。 今度は、元放送作家でタレントの永六輔氏が舞台に登場。永氏は、 「ここ(日比谷公会堂)は、昔、社会党の浅沼稲次郎さんが刺殺されたところなんです」 「君が代は、実は歌いにくい曲なんですよ」 などと語り、アメリカの「星条旗よ永遠なれ」のメロディーで『君が代』を歌うというパフォーマンスを見せるのである。 当日、集会に来ていた白川勝彦・元自治大臣がいう。 「永六輔さんが、はっきりとした歌声で、君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌いました。 うまかったので、自然に聞こえましたよ。へえ、こういう歌い方があるんだ、とびっくりしたというか、妙に感心してしまいましたね」 君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌う── それは、この緊急市民集会とやらの“正体”がよくわかるものだったのである。 ★“反権力”に酔う人々 今回“美智子皇后”を演じたのは、劇団『他言無用』に所属する石倉直樹氏(49)である。 永六輔氏に可愛がってもらって、全国各地のイベントで活躍している芸人だ。 「僕たち(注=メンバーは3人いる)は、テレビではできないタブーに切り込む笑いをやっているんです。 持ちネタは、色々ありますよ。杉村太蔵や橋本龍太郎、それに創価学会だって、やってます」 と、石倉氏がいう。 「中でも最近は美智子様の芸が目玉になってきてますね。実はお笑い芸人として活動を始めた頃、ちょうど昭和天皇がご病気になって、歌舞音曲慎め、と仕事が次々キャンセルされたことがありましてね。 その時、これはおかしいぞ、と思いました。16年経った今も、お世継ぎがどうのこうの、とやっている。何とも言えない怖さを感じます。美智子様のことは好きなんで、出来ればキレイに演じたいんですけどね」 悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、 「この小道具はよく使うんです。普段は、名前をそのまま言わないんですが、あの集会では、ついフルネームで言ってしまいました。(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、乗せられてしまいました。僕は基本的に下ネタは好きではない。永六輔さんには以前、永さんがやっておられた渋谷の劇場にも出させてもらいましたし、去年は沖縄公演にも京都のコンサートにも出させてもらいました。 京都では、僕が皇后で、永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。 僕自身は、これを(市民)運動としてやっているつもりはないし、あくまで自分が面白いと思うことをやっているつもりです」 お笑い芸人としてタブーに挑戦する──石倉氏は腹を据えて演じているらしい。 だが一方、司会を務めた佐高氏の反応は全く違う。 「皇后を中傷する劇? いやいや、そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよ」 と、こう語るのだ。 「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。だから皇室の中傷などではありません。 それは受け取る側の見方ですから、こちらがコメントする理由はありませんよ。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」 永六輔氏は、何というか。 「僕はあの日、3時に来いと言われて会場に向かったんですけど、車が渋滞して遅れ、3時半に到着したんです。だから、そのコント自体、見てもいないし、全然わからないですよ。だから『週刊金曜日』に聞いてくださいな」 と、知らぬ存ぜぬだ。 石倉氏に比べて、二人は何とも歯切れが悪い。矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して、梨の礫だ。 永氏は、かつて、童謡『七つの子』など野口雨情の名作を根拠もなく「強制連行された朝鮮人の歌」などと言ってのけ、関係者を激怒させた“前科”がある。 その関係者の一人、作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。 「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。 自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。 彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」 主催者である『週刊金曜日』の北村肇編集長は、同誌の編集後記でこの集会の模様をこう記している。 <冷たい秋雨の中、2000人近い人びとが集まった。不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。 永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった> “反権力”とやらに酔った人々──彼らに付ける薬は、果してあるのだろうか。 ソース:週刊新潮 12月7日号 30-32ページ (エマニエル坊やがテキスト化)
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『週刊新潮』4月23日号 coffee氏による抄録 http //blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/39950709.html 歴史歪曲と「台湾人」も激怒した NHK「超偏向」番組 性懲りもなく、というべきか。史実を枉げ、日本の台湾統治を徹底的に貶めたNHKドキュメンタリーの「超偏向」ぶりに抗議が殺到している。日本の視聴者ばかりか出演した台湾人も激怒するこの番組、中国、台湾との外交関係にも影を落としそうなのだ。 (略) 4月5日に放送されたNHKスペシャルの「超偏向」ぶりに、識者や関係者、そして一般視聴者から怒濤の批判が沸き起こっている。 (略) この番組によれば、植民地を持つことで世界の“一等国”入りを目指した日本は、抵抗勢力を武力で押さえつけ、台湾の先住民族を博覧会に“展示”して統治の成功を世界に示し、さらに「格差と同化」という矛盾する統治で「差別」を生みながら、「改姓名」などの皇民化運動で台湾人から民族性を奪っていった……この番組は、日本の台湾統治の“極悪非道”ぶりを徹底的に描き出すのだ。 「番組全体が“捏造”とまでは言わないにせよ、ひどい歪曲の連続でした」 台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏が呆れて言う。 「たとえば、番組冒頭で“日本の台湾統治を象徴する”ものとして紹介された1枚の写真には“人間動物園”なる刺激的なタイトルが付けられている。そして、台湾の先住民族パイワン族を、日本政府は1910年にロンドンで開かれた日英博覧会に連れて行き、“見世物として展示した”と解説されるのです。確かに当時の西欧には、植民地化した土地の未開人を見せて金を取る人間動物園という見世物があった。しかし、この時にパイワン族が披露したのは伝統的な踊りや模擬戦闘。歌舞伎や相撲の海外興行と同じで、誇りを持って自分たちの技を披露しているのです。同じ博覧会の写真でインドの人々は半裸ですが、パイワン族がちゃんと民族衣装をつけていることからも、扱いの違いが伺える。NHKは“展示された青年”の遺族に“悲しいね。この出来事の重さ、語りきれない”と言わせていますが、写真だけ見せられて、“あなたのお父さんはロンドンで動物のような扱いを受けた”と言われたら、誰だって悲しくなるでしょう」 櫻井よしこ氏も言う。 「この番組では、強烈なイメージを呼び起こす“人間動物園”という言葉を、当時の日本政府が使った言葉と錯覚するように使っている。全篇がそうした“歪曲報道”の連続なのです」 (略) 日本統治の“過酷さ”を強調するナレーションは、さらにヒートアップする。 皇民化政策は、台湾人の心の中にまで踏み込んでゆきます。台湾全島に日本の神社を次々に建て、人々に参拝を強制します。そして、台湾人が拠り所にしてきた宗教への弾圧が始まります。道教寺院や廟の参拝を制限。建物の取り壊しも始めます。 そして現在、廟を管理する80歳男性の少年時代の記憶として 1938年、地域の寺院や廟に祀られていた神々の像が集められ、すべて焼かれました。 「(神像の提供に)従わない者は29日間も刑務所に入れられるのですよ」 そんな弾圧ぶりが紹介される。 「確かに、一部の地方官吏によって半ば強制的に行われた例もあったかもしれませんが、台湾総督府がこのような“寺廟整理”を行なったのには理由があり、しかもそれは強制ではありませんでした。そもそも、寺廟整理は、迷信の打破・物資の節約・火災の危険予防など台湾の近代化、文明化に必要だとして、台湾の有識者らの賛同も得て行われたこと。それを単純に“宗教弾圧”とするNHKの見方は乱暴だし、公正さを欠くものです」(永山氏) (略) こうした証言だけ聞くと、柯さんは筋金入りの反日家のように聞こえるが、ご本人はこう憤るのである。 「私がNHKの取材で強調したのは、日本による台湾統治はプラスが50%、マイナスが50%、確かに差別も受けたが日本は台湾に多くのものを遺してくれた、ということ。日本の教育を受けなければ今の私もなかった。日本は私にとって“おっかさん”のようなものです。それが、私が一番伝えたかった部分でした。だが、そうした発言は悉くカットされた。取材の際にスタッフからは、“都合の悪いことは言わなくていい”と言われていた。私は“都合の悪いこと”とは日本批判かと思い、“なんでも正直に話すつもりですが、聞こえが悪いところがあったらどんどん削ってよ”と言いました。それは、日本人を不快にする悪口があれば削ってくれ、という意味です。ところが、放送を観たら、逆に悪口ばかりが使われているので大変驚きました」 (略) そんな数々の怒りの声に、NHKは何と答えるのか? 「この番組は、公共放送としての使命にのっとり、国内外で取材をつくして制作・放送したものであり、『反日・自虐史観を前提にした偏向報道である』とは全く考えていません。歴史的な事実を共有することで、日本と台湾、また日本とアジアとの真の絆、未来へのヒントを見いだそうとしたものです」(NHK広報局) 台湾の人々、そして日本の視聴者を愚弄したことへの反省は微塵も感じられないのだ。 (略) 26頁~29頁 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐって
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週刊新潮 06.12.21 26~30ページ [特集]都知事ピンチ!と囁かれる 「赤旗・石原戦争」の鍵を握る女 石原慎太郎都知事(74)の周辺が慌しくなっている。きっかけは、共産党の機関紙「赤旗」の報道だ。都知事の豪華外遊から四男の公費出張問題まで、同紙は、石原都政糾弾の急先鋒となって、「これでもか」と大報道を展開。このほど、水谷建設との間の不透明なマネー問題も炙りだした。その疑惑の鍵を握るのが、50歳のある「女性」である。 その記事が、赤旗日曜版に掲載されたのは、12月10日のことだ。 すでにその数日前から、「いよいよ赤旗が"例の件"を載せるらしい」 という噂が永田町を駆け巡っていた。 "例の件"とは、この夏、噴出した水谷建設の巨額脱税事件に伴う政界への流出マネー捜査の中で、出てきた疑惑である。 昨年の衆院選後、水谷建設と糸山英太郎氏(64)から石原都知事に現金が渡された――というものだ。 政治部デスクによると、 「水谷建設の水谷功・元会長(61)が脱税で逮捕されたのは今年7月。それをきっかけに福島県知事らが収賄で逮捕されるなど、一気に事件が広がった。"平成の政商"とも呼ばれた水谷は、政治家たちに億単位の裏金をバラ蒔いたと言われている。中央政界はもちろん、自治体首長も軒並み名前が挙がっていたので、いつ大物の名が出るか、夏以降注目されていたのです」 石原都知事が参加した問題の料亭・吉兆での会合について囁かれ始めたのは、今年9月のことである。 「特捜部が水谷建設の事件で一斉捜査に入った時、ある場所から石原都知事と水谷、そして糸山英太郎氏らとの会合の写真が押収されたのです。また政治献金を巡って水谷が、パソコンを通じてある人物とやりとりしているメールも同時に押収された。石原と知事と水谷との関係が俄かに浮上した事で、捜査当局もマスコミも、目の色が変わったのです」(司法担当記者) 特に、その案件を執念深く追ったのが、石原都政と対決姿勢を強める日本共産党だったのだ。 共産党都議団は9月26日、東京都議会で、爆弾質問を敢行する。 「私達は、この日の都議会定例会での代表質問で、知事肝煎りの若手芸術家育成を目的にした"トーキョーワンダーサイト事業"について、知事の私物化の問題を追及したのです」 と、日本共産党都議団の吉田信夫幹事長がいう。 「石原氏の独断的手法が都政にゆがみをもたらしており、その象徴的な例として、この問題を取り上げたのです。しかし、石原氏は質問に答えようとせず、また、こちらの再質問にも答えなかったので、議会は紛糾しました。私たちはその後、都がこの事業にどのような金の使い方をしているのか、情報開示請求を行なった。すると、石原氏の四男が事業に深く関わっている事が分かってきたのです」 画家である四男の国内・海外出張に公費があてられ、さまざまな形での事業への関与が明らかになってきたのである。 「知事は、記者会見でも"私物化って何ですか?"などと、トボけていたのですが、ワンダーサイトの館長と副館長に任じられた夫妻を推薦したのも、当の四男だったことがわかった。そこに飾られているステンドグラスの原画を四男がつくっていたり、石原ファミリーがここに深く関係しているのは明確でした。これを私物化と呼ばずに、何と言えばいいのでしょうか」 石原VS共産党の対決色が鮮明になる中で、共産党の機関紙・赤旗は、石原都知事と水谷建設に関わる疑惑報道に着手するのである。 消えた500万円 石原親子 「政商」水谷建設元会長と料亭会合 12月10日、赤旗日曜版は"スクープ"と銘打ち、丸々一面を使って、ついにこれを報道した。 消えた「500万円」 と、具体的に金額まで報じただけに、その衝撃は大きかった。 記事は、問題の会合が、昨年9月の衆院選後、吉兆で糸山英太郎元衆院議員が、三男・宏高氏(42)の初当選のお祝いで開いたものである、と暴露している。 参加したのは、石原父子と糸山氏、水谷元会長、そして、糸山氏が経営する糸山政経塾の塾生である埼玉の石材業者の計5人だった。 その席上、現金の受け渡しがあったとして、赤旗はこう報じている。 当時、糸山事務所の秘書室長(現在、退職)だった人物は編集部に証言しました。「会合の数日前、糸山氏から『宏高氏に当選祝いを渡そうと思う。水谷氏に500万円を用意してくれないか』とお願いした」 この女性は「祝う会」の当日に訪ねてきて、秘書室長に「紙袋」を渡した、といいます ・・・・・・記事はそのあと、この500万円が、宏高氏の政治資金収支報告書に記載されていないことを指摘。宏高氏と糸山氏が、金銭の受け渡しなどなかったというコメントを載せた上で、 元秘書室長の証言は事実なのか。500万円はどうなったか――。疑惑解明が求められます と、締め括られている。 その後、この会合の時に撮られた写真が、マスコミに流出。そこには、指摘を受けた人物たちがすべて写っており、会合の事実は、裏付けられるのである。 問題は、赤旗が指摘するように、"金銭の授受"があったか否か。焦点はそこに絞られている。 この会合のことを赤旗記者に話したのは、記事でも触れられている通り、糸山事務所の元秘書室長である。 この人物の証言をもとに赤旗は、不透明な金銭の問題をスッパ抜いたわけだが、報道で問題が大きくなるや、この元秘書室長は、 「私は知らない。今は言えない・・・・・・」 と、逃げの一手になっている。 だが、この会合と金銭の問題については、実は重要な証言をする人物がもう一人いる。 赤旗が記事の中で、 水谷氏の知人の女性 と記述している人物だ。 今年50歳になる稲村美和子さん(仮名)である。 水谷建設の脱税事件で、その関係先として家宅捜査を受け、事情聴取もされた芸能プロダクションの女性社長。水谷元会長と親しく、水谷建設の北朝鮮での砂利採取事業にかかわったこともある事業のパートナーである。 韓国のカジノで、日本人歌手のディナーショーなどを企画する仕事もしており、昨年8月、韓国・済州島のカジノで、水谷元会長と糸山英太郎を引き合わせたのもこの女性なのだ。 まさしく、今回の問題の鍵を握る人物である。 焼酎の箱に詰められて 「昨年9月13日に糸山の秘書室長の太田秀彦(仮名)から私に電話があったんです」 というのは、当の稲村女史である。彼女と糸山事務所の太田秘書室長は、以前から知り合いだった。 「太田さんからかかってきた電話は、"宏高の当選祝いをやるから、糸山先生が水谷会長に500万円を用意しろ、と言っている"という内容でした。それで、私は水谷会長にすぐ電話をしたのです」 と、稲村女史。だが、 「水谷会長はすぐに"領収書は出せるのか"と言いました。そこで、私は太田さんに電話をし直したんです。すると、太田さんは"領収書は出せない"という。水谷会長は、すでにその時、マスコミに自分のことが書かれ始めていた時期で、"冗談じゃない、そんな献金出せんわね"と言い、吉兆にも行かない、と言いだしたんです。そして"(宏高氏の)選挙応援までさせといて、ご馳走するというなら、向こうがするのが筋だろう"と言いました。それで仕方なく、"私が(代わりに)500万円出すから"と宥めたのです」 稲村女史は、吉兆での会合に至るまでの経緯を、そう語るのである。 水谷元会長が言った"選挙応援"というのは、水谷建設が全面支援した昨年9月の郵政民営化選挙でのことである。 選挙直前、品川のホテルパシフィックで、宏高氏の支援集会が開かれているが、ここに、水谷建設をはじめ、その関連会社が集結。東京に住民票がある社員を動員し、そのまま選挙の手伝いに突入したのだという。 この時、グループの総帥である水谷元会長も、会場にやって来ていた。 「この場で、宏高氏の秘書の島田という人物に、水谷会長は50万円、私も5万円渡したんです。水谷会長と島田秘書が名刺交換した上で、封筒に入れた50万円を渡していました。私も、封筒に自分の会社の名前を書いて渡しましたよ。でも、あとで領収書を送ってくると言っていたのに、送ってもこず、政治資金収支報告書にも記載されていませんでした。水谷会長にとっては、社員も使っていろいろと選挙を手伝ってやったのに、という思いがあったのでしょう」 さて、問題の9月14日の吉兆の会合である。 「私が9月14日当日、まず三田の糸山タワーに行ったんです。午後3時半から4時ごろのことです。お金はピン札に換えてお菓子のようにして持って来い、と太田さんに言われていたので、私が自分の会社の金庫にあった500万円を、UFJ銀行の恵比寿支店でピン札に換えて、会社にあった韓国の包装紙で包みました。この時、水谷会長は私の事務所にいて、一部始終を見ていました。そして、お菓子の箱のようにして包み終わったあとで、水谷会長と一緒に水谷建設の東京支店に行きました。わざわざ水谷建設の毛筆の達者な人に、熨斗紙に"御祝 水谷功"と書いてもらいましたよ。それを糸山タワーの4階にいた太田さんのところに持っていったのです」 稲村女史の証言は、詳細だ。では、そのお金は一体どうなったのか。 女史の話を続けよう。 「私が持っていった時、太田さんは、このお金を(高級焼酎の)『森伊蔵』の箱に詰め換える、と言っていました。糸山さんが、自分で1000万円、また、この日の会合に参加する埼玉の石材業者が500万円、そしてこちらの500万円を合わせて、2000万円にして、渡すというのです。太田さんとは別の秘書二人が『森伊蔵』の箱に詰め換えたそうです。あとで聞くと、私がつけた熨斗紙を破り、また、現金を100万円ずつ束にして結んであったUFJ銀行の帯封もとって、数え直したそうです。わざわざA4の紙を切って白い帯を改めて作り、封をしたと聞きました」 『森伊蔵』4合瓶の箱は、縦9センチ横9センチで、高さが28センチだという。 「一箱に1000万円ずつ入れて、二箱にしたそうですが、100万円の束を八つずつ縦にして入れ、残り二つは、アーチ型に折って上に乗せたと聞きました。そうしないと、小さな『森伊蔵』の箱には、1000万円が入らなかったのです」(同) 宴席と記念写真 宴会は午後6時半スタートだったが、糸山氏より早く石原都知事が到着し、水谷元会長が、石原氏の相手をすることになる。 稲村女史がいう。 「私たちも吉兆に行きました。糸山さんが到着するまで、部屋で水谷会長と都知事が話していましたが、都知事は"宏高の選挙で女房がピリピリしてヒステリーになり、寝室に鍵をかけて寝てたんだ"などと、笑いながら話したそうです。糸山さんと一緒にいる太田さんに電話したら、"(糸山)先生と石原さんを二人っきりにしなければならないから、自分たちが着いたら水谷さんには一度、部屋から出てもらって下さい"と言われました。間もなく糸山さんたちが到着し、糸山さんの目配せで、二人を残して、全員が部屋を出たんです」 1、2分経って、部屋に戻ると、 「すでに受け渡しは終わった様子でした。そこにちょうど宏高さんが到着したのです。『森伊蔵』の箱は都知事の脇に移っており、そこで、全員で記念写真を撮りましたよ。糸山さん、都知事、宏高さん、水谷会長、そして糸山さんとほとんど同時にやってきた埼玉の石材業者の5人を残して、そのあと私たちは、再び別室に下がったのです」 これが、鍵を握る稲村女史の証言である。 彼女は、受け渡しされたのは赤旗が報じる「500万円」ではなく、それを含めた「2000万円」だったと断言するのである。 証言は詳細だが、実際に現金が受け渡しされる場面を彼女が直接、目撃しているわけではない。 これに対して、石原と知事の秘書、兵藤茂氏は、 「その会合に知事が出席したことは事実ですが、そこで特別な話はなかったと聞いています。糸山さんからお土産を何か貰ったという記憶はなく、まあ糸山さんが『森伊蔵』を渡したと仰られているのなら、それは別に否定するつもりはないとのことでした。ただ、その中に現金云々というのは全くなく、事実無根です」 と語り、宏高氏も、 「糸山さんと知事は古くからの知り合いで、糸山さんには、私が1回目の選挙で落選してから、企業のオーナーさんなどを紹介いただいておりました。水谷さんとは、その場で初めてお会いしました。赤旗の記事は知っていますが、糸山さんからはお菓子か何かいただいたような気がしますが、もちろんお金は、全くもらっていません。昨年、品川パシフィックホテルで、確かに地元支援者の事務連絡会議をやりましたが、その"55万円"についても秘書の島田に確認しましたが、受け取っていないそうです。出席者の台帳を処分してしまったので、確認のしようもありません」 糸山氏は、こう語る。 「赤旗は、500万円が消えたなんて書いていたが、私は一切知りません。5人でただ食事しただけで、食事の代金68万円は、私が払いました。私はJALの(個人)筆頭株主なので、ファーストクラスで売っている『森伊蔵』が手に入るんです。慎太郎が好きなので、会った時は、いつも土産に持たせてあげるんですよ」 あの日も(親子に)一本ずつあげたそうだ。 「『森伊蔵』の4合瓶の箱は小さいし、お金なんて入れられるわけないでしょ。今回の件は、都知事の三選を阻止しようとしている連中の仕掛けですよ。後ろにブラックな連中が見え隠れしている。きっと私のお金を狙っているんでしょう」 一方、現在保釈中の水谷元会長は、微妙なコメントだ。当時、水谷元会長は胆嚢の手術をしたばかりで、体調は最悪だったという。 「あの時、僕は早う帰りたくて帰りたくて・・・・・・。あれは、手術して退院したあくる日のことだった。だから、なにか頭が、ボヤっとしてあんまり覚えてないんだ・・・・・・。知らん人には、何も言えんがな。もう勘弁してくださいよ・・・・・・」 「私は被害者」 稲村女史が再びいう。 「糸山さんは、水谷会長と会ったのがその時、初めてだった、と言っているそうですが、トンでもありません。韓国の済州島のカジノで、その前年に二人を引き合わせたのは、私自身ですよ。よくそんな嘘が言えたものです。私が聞いたところでは、あの2000万円は、カネを詰め換えた別の秘書が着服したことにしようとしているのだそうです。憤りを感じます・・・・・・」 女史は、自分が立て替えた500万円が闇から闇に消えた事に怒り、その返還訴訟を提訴するつもりだという。相手は、糸山氏だ。 「都知事に渡したのは糸山さんで、私は糸山さんの秘書の太田さんに言われてそうしたのですから、当然、返還請求の相手は糸山さんになります。私は夏以降、水谷建設の事件で特捜部の聴取を受けましたが、特捜部では、この吉兆での件をすでに知っていました。検事に"写真は見ましたよ。(告発する)腹を決めたら、連絡を下さい"と言われました。でも、話を聞かれたのは、都知事の別の案件でしたね」 一方、糸山氏は、 「向こうが私相手に500万円の返還訴訟を起こすなら、望むところです。むしろ訴えてくれた方がいい。全部、事実をオモテに出すことができるから、こっちがディスクローズすれば、逮捕者が出ますよ。私は被害者なんですから」 前方には、都知事での共産党の追及と赤旗報道。後方には、疑惑への関心を寄せる捜査当局――石原都知事、ピンチである。 土本武司・白鷗大学法科大学院教授がいう。 「現金の授受が事実なら政治資金規制法に違反する疑いが出てきます。ただ、捜査当局は、まず贈収賄や税法違反などの実質的犯罪に的を絞っており、それらが適用できない時に最後の手段で、この法律の適用を考えるものです。今回は水谷建設の元会長が関係しており、登場メンバーから見ても、捜査してみる価値のある案件と言えます。金を渡した側には何らかの見返りの意図があり、受け取った側にその認識があれば、贈収賄に発展する可能性もありますよ」 三選を目指す石原都知事。知事選は、来年4月に迫っている。全国で自治体トップの逮捕が相次ぐ中、東京もいよいよ予断を許さなくなってきたのだろうか。
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『週刊新潮』4月23日号 全文」 http //www.emaga.com/bn/bn.cgi?3407 より転載 [特集]歴史歪曲と「台湾人」も激怒したNHK「超偏向」番組 性懲りもなく、というべきか。史実を枉げ、日本の台湾統治を徹底的に貶めたNHKドキュメンタリーの「超偏向」ぶりに抗議が殺到している。日本の視聴者ばかりか出演した台湾人も激怒するこの番組。中国、台湾との外交関係にも影を落としそうなのだ。 「“偏向報道”の一語に尽きます。“日本は加害者”という自虐史観ありきで、そこから一歩も出ていない」台湾出身の評論家、金美齢氏も、そう憤るのだ。 4月5日に放送されたNHKスペシャルの「超偏向」ぶりに、識者や関係者、そして一般視聴者から怒涛の批判が沸き起こっている。 横浜開港で日本が世界にデビューしてからの150年間を辿る「シリーズ・JAPANデビュー」。その第1回放送『アジアの“一等国”』のテーマは、50年に及んだ日本の「台湾統治」だった。明治28年、日清戦争に勝利した日本は、台湾を割譲された。この番組によれば、植民地を持つことで世界の“一等国”入りを目指した日本は、抵抗勢力を武力で押さえつけ、台湾の先住民族を博覧会に“展示”して統治の成功を世界に示し、さらに「格差と同化」という矛盾する統治で「差別」を生みながら、「改姓名」などの皇民化運動で台湾人から民族性を奪っていった・・・・・・この番組は、日本の台湾統治の“極悪非道”ぶりを徹底的に描き出すのだ。 「番組全体が“捏造”とまでは言わないにせよ、ひどい歪曲の連続でした」 台湾研究フォーラム会長の永山英樹氏が呆れて言う。 「たとえば、番組冒頭で“日本の台湾統治を象徴する”ものとして紹介された1枚の写真には“人間動物園”なる刺激的なタイトルが付けられている。そして、台湾の先住民族パイワン族を、日本政府は1910年にロンドンで開かれた日英博覧会に連れて行き“見世物として展示した”と解説されるのです。確かに当時の西欧には、植民地化した土地の未開人を見せて金を取る人間動物園と言う見世物があった。しかし、この時にパイワン族が披露したのは伝統的な踊りや模擬戦闘。歌舞伎や相撲の海外興行と同じで、誇りを持って自分たちの技を披露しているのです。同じ博覧会の写真でインドの人々は半裸ですが、パイワン族がちゃんと民族衣装を着けていることからも扱いの違いが窺える。NHKは“展示された青年”の遺族に“悲しいね、この出来事の重さ、語りきれない”と言わせていますが、 写真だけ見せられて、“あなたのお父さんはロンドンで動物のような扱いを受けた”と言われたら、誰だって悲しくなるでしょう」 櫻井よしこ氏も言う。 「この番組では、強烈なイメージを呼び起こす“人間動物園”という言葉を、当時の日本政府が使った言葉と錯覚するように使っている。全編がそうした“歪曲報道”の連続なのです」 さらに、番組では、<台湾人を強制的に日本人へと変える政策>の一環として、<同じ時期、朝鮮半島では新たに氏を創る「創氏改名」が行われ、台湾では「改姓名」が始まりました>と解説しているが・・・・・・。 「ここにも大きな誤りがあります。半ば強制だった朝鮮の創氏改名と、許可制だった台湾の改姓名は全く別物。日本語常用家庭に育ったことなどの条件を満たした上で、総督府の審査に通らなければ改姓名はできなかった。その証拠に、昭和18年の時点で朝鮮では人口の80%以上が創氏改名を済ませていましたが、台湾で改姓名をしたのは1・6%に過ぎません。この数字を見れば強制でなかったことは一目瞭然です(同前) 日本統治の“過酷さ”を強調するナレーションは、さらにヒートアップする。 皇民化政策は、台湾人の心の中にまで踏み込んでゆきます。台湾全島に日本の神社を次々に建て、人々に参拝を強制します。そして、台湾人が拠り所にしてきた宗教への弾圧が始まります。道教寺院や廟の参拝を制限。建物の取り壊しも始めます 。そして現在、廟を管理する80歳男性の少年時代の記憶として、 1938年、地域の寺院や廟に祀られていた神々の像が集められ、すべて焼かれました 「(神像の提出に)従わない者は29日間も刑務所に入れられるのですよ」 。そんな“弾圧”ぶりが紹介される。 「確かに、一部の地方官吏によって半ば強制的に行われた例もあったかもしれませんが、台湾総督府がこのような“寺廟整理”を行ったのには理由があり、しかもそれは強制ではありませんでした。そもそも、寺廟整理は、迷信の打破・物資の節約・火災の危険予防など台湾の近代化、文明化に必要だとして、台湾の有識者らの賛同も得て行われたこと。それを単純に“宗教弾圧”とするNHKの見方は乱暴だし、公正さを欠くものです」(永山氏) 番組は、教育勅語を得意げに暗誦してみせる台湾人男性の姿なども紹介しながら、やはり最後はこう締めくくるのだ。 親日的とも言われる台湾に、今も残る日本統治の深い傷。これは今後アジアの中で生きていく日本が分かち合わなければいけない現実です 。ここまで“日本統治=悪”“日本人=加害者”の意識を貫けば、むしろ、ご立派と言うしかない。 ■無視されたトオサンの声 そうした「歪曲」以上に問題になっているのが、台湾の人々の証言が、編集の名のもとに恣意的に“操作”され、日本を貶める論調に利用されたことだった。 「この番組は、NHKワールドプレミアムという有料チャンネルで日本と同時に見ることができたのですが、その内容には驚きました」 そう言うのは、日本統治時代に日本人として教育を受けた日本語族台湾人、いわゆる「トオサン(多桑)」の一人として今回の番組に度々登場する、柯徳三さん(87)である。番組では狭き門を潜り抜けてエリート校・台北第一中学校に入学した台湾人生徒について<しかし日本人が大多数を占める中で、より多くの偏見や差別に苦しめられることになります>とするナレーションに、柯さんのこんな発言が続く。 「台湾の、あの豚の角煮ね、ローバーだな、ああいうものを弁当に持っていくでしょ、そうすると笑われるんだ。特に豚のしっぽなんか持って行ったら笑われる。『あれなんだ、豚のしっぽだ。台湾人は豚のしっぽ食うのか』と、わいわい騒ぎたてる」 柯さんの苦言は続く。 「私のいとこのお姉さんが、日本人の嫁になって日本へ行ったけれどね、戸籍が入らん。あれが差別。こういうのが差別でしょう」 頭のコンピューターが、すでに日本語化されてしまってるから。あの二十何年間の教育というのはね、実に恐ろしいね。頭が全部ブレーンウォッシュ(洗脳)されてるからね」 こうした証言だけ聞くと、柯さんは筋金入りの反日家のように聞こえるが、ご本人はこう憤るのである。 「私がNHKの取材で強調したのは、日本による台湾統治はプラスが50%、マイナスが50%、確かに差別も受けたが日本は台湾に多くのものを遺してくれた、ということ。日本の教育を受けなければ今の私もなかった。日本は私にとって“おっかさん”のようなものです。それが、私が一番伝えたい部分でした。 だが、そうした発言は悉くカットされた。取材の際にスタッフからは“都合の悪いことは言わなくていい”と言われていた。私は“都合の悪いこと”とは日本批判かと思い、“なんでも正直に話すつもりですが、聞こえが悪いところがあったらどんどん削ってよ”と言いました。それは、日本人を不快にする悪口があれば削ってくれ、という意味です。ところが放送を観たら、逆に悪口ばかりが使われているので、大変驚きました」 05年に東京で出版した著作『母国は日本、祖国は台湾』でも、柯さんは日本人への感謝の気持ちを含め、日本統治の功と罪をきちんと振り返っている。 トオサンたちの日本統治時代への思いを取材した平野久美子氏のノンフィクション『トオサンの桜』には、110人に尋ねたアンケートの結果が掲載されているが、たとえば 今までの人生で最も愛着を覚えるのはどの時代ですか? という問いに対する回答のトップは「日本統治時代」だった。 番組では、柯さん以外にも何人かが日本に対する恨み節を口にしたが、 「彼らが恨んでいるのは、戦後の日本に対してです。日本が戦争に負け、サンフランシスコ講和条約で台湾の領有を放棄したこと、つまり日本に捨てられたことが彼らのトラウマになってるんです。NHKはこうしたファクトには全く触れずに番組を作っている。ドキュメンタリーとしては完全に失格です」(平野氏) 柯さんはこうも心配する。 「今、台湾は中共に飲み込まれるかどうか、という危うい状況です。 日本の統治時代を知る70台以上の年配者は、今こそ日本に手を差し伸べてもらい助けて欲しいと願っている。その状況で、台湾が反日であるかのような誤った情報が強調されれば、二国間の関係に水を差すことになる。NHKがこんな番組を作った背後には、日台の関係を引き裂こうとする中共の意向があるのではないのか、と邪推してしまいます。」 ■「後藤新平」評価のウソ かくも偏向した内容に、日台の視聴者はすぐに声を上げた。日台友好に尽力する「日本李登輝友の会」の柚原正敬・事務局長の話。「放送の翌日以降、番組に対する怒りの声が数十件、友の会に寄せられました。台湾の若い世代の間でも、“僕のおじいちゃんは日本大好きなのに、あの番組は変だよ”といった疑問の声があがっているそうです。そこで、4月9日には小田村四郎会長と5人の副会長の連名で、NHK会長宛の抗議声明を手渡しました」 柚原氏も、あの番組にはおかしなところがいくつもある、と指摘する。 「たとえば、総督府の民政局長を務めた後藤新平について、当時の主要産物だった樟脳で儲けようとキールンの港や縦断鉄道を整備したように描いている。しかし、李登輝総統時代に台湾の歴史の副読本に採用された『認識台湾』という本には、後藤が台湾の米作りやサトウキビ栽培を何十倍にも拡大した功績がきちんと記されています。 メルマガ『台湾の声』編集長の林健良氏も、「前日4日に放送された同シリーズのプロローグ編『戦争と平和の150年』も観ましたが、“左巻き”の歴史学者たちの宣伝みたいな番組でした。だから、翌日、台湾が取り上げられると聞いて嫌な予感はしていたのですが・・・・・・私の知り合いの台湾人はみな口を揃えて“今回の番組はウソだ”と怒っていますよ。NHKは、06年に中国が青海省からチベットまでの鉄道を開通させた時にも、わざわざ2回も特番を組んで礼賛していた。私に言わせれば鉄道はチベット統治を強化するためのものでしかありません。日本の植民地支配をここまで批判しながら、中国で現在進行中の少数民族弾圧などを全く批判しないのも、おかしいでしょう。NHKは中国に阿っているといわれても仕方ない」 ■勉強不足か確信犯か そんな数々の怒りの声に、NHKは何と答えるのか? 「この番組は公共放送としての使命にのっとり、国内外で取材を尽くして制作・放送したものであり、『反日・自虐史観を前提にした偏向報道である』とは全く考えていません。歴史的な事実を共有することで、日本と台湾、また日本とアジアとの真の絆、未来へのヒントを見出そうとしたものです」(NHK広報局) 台湾の人々、そして日本の視聴者を愚弄したことへの反省は、微塵も感じられないのだ。先に紹介した柯さんや平野さんの著作を知っていたのかという質問にも回答はなし。知らなかったのなら信じがたい勉強不足だし、まして、知っていて無視したのなら、まさに「超偏向」番組の謗りは免れまい。さらに、こんな批判も。 「NHKのドキュメンタリーの作り方は、『プロジェクトX』が“成功”を収めた頃から変わってきた。わかりやすさを優先し、本来は複雑な世の中を白黒の2つに単純化することでドラマティックな物語を生んだが、同時に不都合な事実には敢えて触れないという不実さも生まれたのです」と指摘するのは東京工科大学教授(メディア論)の碓井広義氏である。「しかし、以前に比べれば、現在の視聴者のメディア・リテラシー(メディアの情報を鵜呑みにせず批評的に解読する力)は高まってきています。誤魔化そうとしても、必ずボロが出る。今回の騒動は、番組スタッフがそのあたりを甘く見過ぎた結果とも言えるでしょう」 4月5日の冒頭番組で、NHKは 未来を見通す鍵は歴史の中にある と高らかに宣言している。とすれば、このシリーズの 未来 にも直近の 歴史 である第1回放送で露呈した「超偏向」の姿勢が見え隠れするのである。 眉に唾しつつ「シリーズ・JAPANデビュー」の今後を見守ろう。 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐって
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週刊新潮「危ない地球」の歩き方(2010年4月29日号 pp.40-43 抜粋) 「最大12連休」という曜日の並びに恵まれ、50万人が海外を目指す今年のゴールデンウィーク。だがそれは、日本人をカモにしようと待ち構える詐欺者やコソ泥にとっても絶好のチャンスだ。決して引っかかってはいけない、あんな手口、こんな罠を誌上公開! タイ (強姦、イカサマ・トランプ) そもそもバンコクの日本大使館は、93~08年まで連続で邦人の”援護件数”が在外公館中1位。政治的な緊張状態がなかったとしても、タイは決して気が抜けない国なのである。 「たとえばチェンマイでは、バックパッカー的な日本人女性を狙った強姦事件が相次いでいます」(タイ在住の邦人) そして、こんな話も。 「数年前にバンコクで、ひどい目に遭いました」 回想するのは20代の男性会社員である。 「街中で40歳前後の中年夫婦に声をかけられ仲良くなり、 ”日本でビジネスをやりたいが、大使館からもらった日本語の資料を、家で英語に訳してくれないか。ランチくらい作るから” と頼まれたんです。そのくらいならと承諾しました。彼らの家に着いてみると、資料の翻訳については一切話が出ず、なぜかトランプが始まり、やがて彼らの親戚とおぼしきオジさんが現れて ”私はディーラーだ。『ブラックジャック』で必ず勝てる方法を教えてあげるよ” と言うのです」 そして、イカサマの手口を伝授されると、今度は ”実践してみよう” と、対戦相手としてビジネスマン風シンガポール人が呼ばれた。 「たしかに、オジさんがイカサマを仕掛けてくれるので何度やっても僕が勝つ。シンガポール人が ”これで最後にしよう” と100万バーツ(約300万円)を場に持ち出してきた時にも、僕の持ち札の合計は既に『21』、つまりブラックジャックでは最強の数になっていました。が、シンガポール人は ”もし僕が買ったら君はこれだけの金額を支払えるか” と言う。するとオジさんは ”俺に任せとけ。なんとか工面する。ただ、君も持っているだけは出してほしい。今ある現金とカードを見せて” と。見せるだけならとクレジットカード、その時持っていた現金約3万円、一眼レフカメラも言われるままに見せました。オジさんが ”足りない分は俺が明日用意するから、今双方が出した現金はうちの金庫に預かっておく” と言うので、一旦ゲームは凍結となりました」 だが、翌日、教えられた番号に電話してもつながらず、住所もデタラメ。連れていかれた場所も割り出せず、預けた3万円はキレイに持ち去られたのである。 インドネシア、ベトナム (イカサマ・トランプ) 実は、トランプを使ったこうした詐欺は、細部を変えてインドネシア・バリ島など各地に存在する。とりわけ最近、多くの日本人がカモにされているのがベトナムである。ホーチミンの力代理店社員の話。 「一人旅、それも従順そうな若い女性が狙われやすいようです。ドンコイ通り、グエン通り、レロイ通りなどショッピング街を歩いていると、 ”妹が今度留学するので日本のことを教えてほしい” などと自宅に誘われ、ポーカーに引き込まれる。あとは、最初は勝たせてもらえるが、次第に負けがこみ、親切にも夫婦が貸してくれたお金もなくなって……という筋書き通りの展開です。彼らはキャッシング限度額をよく知っていて、4000万ドン(約20万円)ほど勝った段階でATMに連れていって、その場で支払わせるわけです。最高では1万4000米ドル(約130万円)取られた例もある。この場合は複数のカードで金(きん)を買わせて、それを換金したんです。ベトナムの通貨は1万ドンが約50円ほどとケタが違いすぎるので大金を取られたという実感がないんでしょう。お金を払った後で ”明日も遊ぼう” と誘われ、どうしようかとツアコンに相談して、ようやく洗脳が解けた人もいましたね」 イタリア (ニセモノの鳩の糞でスリ) 以前はカッターでの切り裂き窃盗などが多かったイタリアでは、盗む技術の高度化が見られるという。 「ミラノのドゥオーモ前でのことです。そのツアーには海外旅行歴が40回以上、イタリアだけでも10回以上という60代のご夫婦が参加していて、自分たちだけは盗難など大丈夫、と仰っていたんですが」 振り返るのはベテラン・コンダクター氏だ。 「ドゥオーモからの帰路、 ”いやあ、鳩に糞を引っ掛けられましてね。でも、親切なご夫婦が拭いてくれて” と仰るので、もしやと思ったら、案の定、夫はジャケットの内ポケットの現金200ユーロ(約2万5000円)を、妻はバッグの財布からほぼ同額を盗まれていました。ジャケットの”糞”は絵の具を混合したもののようで、予めそれをふりかけた上で声をかけたんでしょう。東欧系に見える40代の男女で、夫はカメラを提げていたそうです。 ”糞を拭く”フリをしながらジャケットやバッグを探ったのでしょうが、外ポケットのパスポートには手をつけず、バッグのチャックなども元通りという、まさに職人芸でした」 スペイン・バルセロナ (ニセ警官がクレジットカード強奪)、 スペイン以外の各国も 以前は「首絞め強盗」なる荒っぽい手口が知られていたスペイン・バルセロナで最近はやっているのが「ニセ警官」によるクレジットカード強奪だ。同地在住の写真家が言う。 「2~3人組で一芝居打つんです。サグラダ・ファミリア教会やグエル公園などの観光地で、まず外国人観光客役が日本人に道を尋ねる。話をしていると、今度は警察官役がやってきて、その観光客役に職務質問をするわけです。名前・住所・電話番号・クレジットカード番号とその暗証番号。観光客役は素直に全部答えて、解放される。次に日本人に訊くわけですが、ちょっと不審に思っても、前の人も答えたのだからと応じてしまう。で、暗証番号を言った瞬間、犯人はカードを奪い逃げていく。慌ててカードを止めても、それまでの15分ほどの間に限度額いっぱいの金を引き出されてしまうんです」 実はこの「ニセ警官」、スペインだけでなく各国に共通する手口ゆえ、カードは見せない、暗証番号は絶対に言わない用心が必要なのだが…… ドイツ・フランクフルト (過剰防衛ゆえ公務執行妨害で逮捕) 一方で、警戒し過ぎても大事に至る危険がある。 「3年ほど前、ドイツのフランクフルトでの話です」 旅行代理店社員が言う。 「空港で私服警官に呼び止められた日本人学生が、相手をニセ警官と思い込み、パスポート提示を断固拒否。その際、仲間の学生たちが警官を取り囲む形になったため添乗員と学生33名が公務執行妨害で逮捕され、一人30ユーロの罰金でようやく釈放されました」 常に”本物”である可能性を念頭に置き、公務執行妨害や侮辱行為とならないよう注意が必要というわけ。 ロシア (警官にお金を巻き上げられる) だが、本物なら本物で問題なのがロシアの場合……。 「こちらでは、警察官が理不尽な難癖をつけてお金を巻き上げていく、というのが日常茶飯事なんです」 日本料理店の店員が言う。 「お酒を飲んで通りを歩いているだけで呼び止められ、パスポートを持っていないと1万円ほどの罰金を取られる。なかには、日本人に ”一緒に飲みに行こう” と持ちかけ、最後には拳銃をちらつかせて飲み代を全額払わせる輩もいるんです。ただ、ロシアでも中国人窃盗団が暗躍しているため、同じような顔つきの日本人がマークされるのは、ある程度は仕方ないのですが」 中国・上海 (携帯スリ、偽ブランド品) 「万博を控えて、治安は良くはなっているのですが、地方から出てきたみすぼらしい身なりの少年スリ集団が観光客を狙っている」 上海の事情通が指摘する。 「特に狙われるのが、携帯電話。中国の携帯は、日本でいうプリペイド方式でICカードを差し込めば、どの携帯でも使える。日本の携帯も、中をイジれば使えるようです。高額の機種もありますから、携帯スリは割がいい商売なんです。日本人は、携帯をジーンズのポケットからのぞかせていたり荷物の上に置いたままにする人が多くて、危なっかしい限りですよ」 その他にも、 「上海の偽ブランド品市場は4年前、当局の手で潰されましたが、逆に業者が野に放たれることになった。錦江飯店やホテルオークラ系の花園飯店など日本人がよく使うホテル周辺は、 “グッチやプラダの密輸入品を買わないか?” などと客引きが声をかけてくる。うかうかと応じると入り組んだ路地裏の店に連れて行かれ、偽ブランド品を買うまで帰してくれません」(同) 米国・ハワイ (人食いバクテリア) 「ハワイ島には”ホットポンド”と呼ばれる天然の温泉プールがありますが、ここには人食いバクテリアが生息しています。免疫が弱っているとき、擦り傷などから体内に入ると組織の壊死が起こる。まだ日本人の死者こそいないが、高齢の白人が亡くなっています。ワイピオ渓谷を流れる川にもこのバクテリアがいるので、”水を飲むな”という髑髏のマークつき看板が出ているんです」(現地のツアコン) 米国・ニューヨーク (危険) ニューヨークでは最近、マンハッタン南東のブルックリンが”おしゃれスポット”として持て囃されているという。NY在住の翻訳家が解説する。 「人気のクラブや高級チョコレート店などが次々にでき、アーティスト村も形成されています。でも、ここは元々ハーレムよりさらに所得の低い黒人の住む街で、今でも薬物中毒者が多く発砲音も絶えない。地元に住む日本人小学生が他の地区の友達と街を歩いていた時、友達の風船が割れてしまった。その瞬間、地元の子はさっと地面に身を伏せた。”発砲音”に自然に体が反応したんですね。マンハッタンと人気クラブを往復するバスツアーが好評のようですが、往路の車内からお酒が飲めるという楽しみもあるけれど、行き帰りが”安全”だから、みんなバスツアーを利用するんです」 インドネシア・バリ (露出狂? 追い掛け) バリでは、こんな事例も報告されている。被害者は「東方神起」ジェジェン似の男子学生である。 「20区のマクドナルドの窓際で、遅い夕食を取っていた時のことです。コンコンと窓を叩く音がするので外を見ると、ブルース・ウィリスを少しメタボにしたような男性が、ニカッと笑いかけてきた。反射的に微笑みを返すと、今度は自分の股間を指さすんです。見ると、チャックから飛び出したイチモツを窓ガラスに押しつけていたんです。これはヤバいと思って店内の死角に移動したんですが、男は店の中まで追いかけてくる。僕はチキンナゲットが大好物で最後に残してあったのですが、泣く泣く置いて逃げました」 海外では、男性の”貞操”も危ういのである。 火山灰 (ヨーロッパの空路が麻痺した場合の日本への帰国) まず誰しも考えるのがスペイン・マドリッドへの脱出。パリからならTGV(フランス版新幹線)とスペインの特急を乗り継いで、所要12時間。直行の夜行列車フランシスコ・デ・ゴヤ号ならパリ発19時47分、所要13時間半で翌朝9時過ぎに着く。そこから、バンコク、ジャカルタ、イスタンブール、ドーハ、ドバイなど日本への直行便があり、なおかつ火山灰の影響をうけない空港をめざす。 マドリッドの便が手配できない場合には、次善の策としてポルトガル・リスボン(パリから19時間)あたりを目指すことになるが…… ちなみにそれでもダメという最悪の場合はどうか。ギリシャのアテネまでは、途中海路(イタリア・アンコナ~ギリシャ・パトラ)を利用し、パリから鉄道を乗り継いで42時間。ベルリンからなら47時間。滞在先が東欧方面なら、トルコ・イスタンブールまで、ウィーンから36時間。プラハから39時間。そしてベルリンからなら、やはり44時間! これとて座席が取れ、列車が時刻通り走ればの話である。家族の結婚式の予定でも無ければ、空路が復旧するまで滞在先で待機していたほうが賢明かも。
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マシワン語 |Austronesian languages|Malayo-Polynesian languages|Central-Eastern Malayo-Polynesian languages|Central Malayo-Polynesian languages| 言語類型 現用言語 使用文字 type living language writing system ISO 639-3 【bnf】 言語名別称 alternate names Bonfia ボンフィア語 方言名 dialect names 参考文献 references WEB ISO 639-3 Registration Authority - SIL International the LINGUIST List Ethnologue
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P31・「防衛省」久間長官が蠢く赤坂「韓国クラブの夜」 P44・「杉村タイゾー」北海道1区の公募に「ただいま挑戦中」 P99・連載・人間自身~厚かましいNHK
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【国内】塩村文夏氏、「妊娠したと嘘をつき1500万円の慰謝料をもらった」というデマが2ちゃんまとめサイトなどで広まる[7/7]★2 http //peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1404733301/22 コピペ用 【『週刊新潮』7月3日号・要旨】 ・彼氏とデートした際、相手の提案を無視して一番高いコースを注文した、と『恋のから騒ぎ』で告白 ・歌手と付き合っていた時は、ホテルのロビーで“出待ち”をしているファンの女の子に向かって、彼の横についてニコッと笑いかけた、と『恋のから騒ぎ』で披露 ・今まで付き合った男性は慰謝料を払ってくれた。「最高で1500万円を受け取った」と『恋のから騒ぎ』で言うと、会場には共演者たちの悲鳴が響き渡った。共演者だった泉谷しげるは「お前、詐欺師だな」とあきれる ・『恋のから騒ぎ』で“説教部屋”に行った回数は番組史上歴代1位タイ ・駒沢のビルにあった塩村都議の選挙事務所の賃料を、塩村は都議に当選した後も支払わず、大家は取り立てに手を尽くした。ところが、今年2月、塩村は大家による面会強要などの差し止めの仮処分を申し立て、受理されている ・塩村都議の選挙運動費用収支報告書では、大家が家賃相当額を寄付した形になっているが、大家は知らなかった ・大家は都議選前に遡り、12年12月から翌年7月までの賃料計160万円の支払いを求めて5月上旬に反訴 ・今年4月、みん党の倫理委員長・三谷英弘との不倫疑惑が一部で報じられる ・塩村都議が維新政治塾に入る前、選挙資金について聞かれると「彼氏がトヨタの一族で、南青山に住んでいる。お金は出してもらうから大丈夫」と答えた ・昨年の事務所開きには、トヨタ関連企業の重役を務める40代男性が駆けつけている。選挙スタッフの間では、この男性は“塩村都議の婚約者”で通っていた ・『週刊朝日』が塩村都議の事務所経費問題に関する取材を進めていたところ、『AERA』編集部に在籍していた男性が、「自分は(塩村都議の)婚約者だ」と介入してきた .